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MoMoさんによる連載コラム8:APEC Stage 2 Part3
APEC Stage 2 について その3 (私のStage 2への挑戦歴)
Stage 2は今思い起こしても、今まで受けた中で最も過酷な試験でした。私はStage 2に2回失敗し、3度目の受験でようやく合格することが出来ました。
1度目の受験は2000年の3月で、丁度Stage 1に合格してから1年後でした。その頃はPSAのIntern Pharmacist Programの最終試験も合格していたので、妙な自信を持っていたのですが、実際のところ実力が極端に不足していたので、様々な失敗をして不合格になりました。主な敗因は、その頃初版が発行されたばかりのAMHの存在を知らずに、持っていなかったことです。代わりにAPP Guideという分量の割には全く試験に使えない本を、そうとは知らずレファレンスとして使っていました。そのためMetforminの初回投与量が多いのに気がつかず、そのままDispenseしてしまいました。
2度目の試験は、規定では1度目の受験から更に500時間(3ヶ月)の研修を経た後に受験できるのですが、万全を期して2000年の12月に受験しました。その頃、98年に技術移民としてオーストラリアに移住された日本人薬剤師の女性と知り合い、隔週末は合宿と称し彼女の家に泊まり込んで、一緒に勉強しました。私はその頃コミュニィティー薬局で働いており、一方彼女は私立病院の薬局で働いていたので、お互い持っている知識を共有することによって、飛躍的に伸びることが出来たと思います。
試験では彼女は一発合格だったのですが、私はツメが甘く、「患者さんを一時的にでも危険な状態には置いてはいけない」という規定に引っかかり、不合格となりました。喘息の吸入薬がMAからTurbuhalerに切り替わったときに、Overdoseになったのを最初は見抜けませんでした。途中で気がついて訂正したのですが、もう後の祭りでした。
2度目の試験が不合格だったので落胆し、私は一時的に薬学から離れ、日本人の多い職場で未知の分野の仕事を始めました。周りの人はみんないい人でしたし、言葉の壁がないというのがこんなにも楽だったのかと、改めて思い知らされました。しかし、やはり専門外の仕事をしていると、これまで勉強してきたのは一体何だったのだろうと度々ジレンマに陥り、もう一度Stage 2に挑戦することにしました。APECでは、「Stage 1の合格後5年以内に全ての過程を終えなければいけない」という規定があるので、私の場合は2004年の4月がタイムリミットでした。それに間に合うように、この新しい仕事を2002年の10月で辞めました。
3度目の挑戦にあたってのAPECの試験官とのInterviewでは、やはり2年も薬学から離れていたのでPre-registration期間は2000時間になるとのことでした。幸いにも自宅の直ぐ近くの薬局で雇ってもらえたので、2002年の11月から新たにPre-registration研修を始めました。この薬局は以前勤めていた薬局とは違い、マネージメントに問題があり、しょっちゅう働いている人が辞めていくような職場でした。私もストレスから欝気味になり、よっぽど職場を変えようかと思ったのですが、Pre-registered pharmacistの身分では職もなく、必死の思いで12ヶ月を耐えて過ごしました。
3度目の受験は2003年の12月でした。もう後がないので、背水の陣で臨みました。この頃、PSAから「Case Studies in Practice Medication Review」と「Case Studies in Practice Pharmacist Only and Pharmacy Medicines」の初版が出版されたのですが、これらを入手したとき、どうしてこういう本が2回目の受験のときに出版されてなかったのだろうと、臍を噛む思いでした。様々な本や参考書の中でも、特にこのCase Studiesの2冊とAMHは本がボロボロになるまで読み返しました。
APCATは2度目の受験までは導入されていなかったので、今回が始めての受験となりました。最後のほうで少々時間が足りなくなりましたが、自己採点では75%~80%くらいの正答率だったと思います。
実技と口答試験については、試験の終わりに恐る恐る試験官に「今回は何かミスしませんでしたか?」と聞くと、上機嫌で「今回はパーフェクトだったよ。最終結果はAPCATの結果が返ってくるまで出せないけど、またお会いしましょう。今度は試験会場ではなく、ね。」とウインクされました。
APCATの結果が試験官の元に返ってきたのがその2週間後で、正式に合格通知を受け取ったのはその更に1週間後でした。96年の7月にAMEPの英語コースに行き始めてから、実に7年半を経て2003年の12月末(薬剤師登録は2004年の1月初頭)に、私はやっと全ての過程を終えて、オーストラリアの薬剤師として第一歩を踏み出したのです。
Stage 2は今思い起こしても、今まで受けた中で最も過酷な試験でした。私はStage 2に2回失敗し、3度目の受験でようやく合格することが出来ました。
1度目の受験は2000年の3月で、丁度Stage 1に合格してから1年後でした。その頃はPSAのIntern Pharmacist Programの最終試験も合格していたので、妙な自信を持っていたのですが、実際のところ実力が極端に不足していたので、様々な失敗をして不合格になりました。主な敗因は、その頃初版が発行されたばかりのAMHの存在を知らずに、持っていなかったことです。代わりにAPP Guideという分量の割には全く試験に使えない本を、そうとは知らずレファレンスとして使っていました。そのためMetforminの初回投与量が多いのに気がつかず、そのままDispenseしてしまいました。
2度目の試験は、規定では1度目の受験から更に500時間(3ヶ月)の研修を経た後に受験できるのですが、万全を期して2000年の12月に受験しました。その頃、98年に技術移民としてオーストラリアに移住された日本人薬剤師の女性と知り合い、隔週末は合宿と称し彼女の家に泊まり込んで、一緒に勉強しました。私はその頃コミュニィティー薬局で働いており、一方彼女は私立病院の薬局で働いていたので、お互い持っている知識を共有することによって、飛躍的に伸びることが出来たと思います。
試験では彼女は一発合格だったのですが、私はツメが甘く、「患者さんを一時的にでも危険な状態には置いてはいけない」という規定に引っかかり、不合格となりました。喘息の吸入薬がMAからTurbuhalerに切り替わったときに、Overdoseになったのを最初は見抜けませんでした。途中で気がついて訂正したのですが、もう後の祭りでした。
2度目の試験が不合格だったので落胆し、私は一時的に薬学から離れ、日本人の多い職場で未知の分野の仕事を始めました。周りの人はみんないい人でしたし、言葉の壁がないというのがこんなにも楽だったのかと、改めて思い知らされました。しかし、やはり専門外の仕事をしていると、これまで勉強してきたのは一体何だったのだろうと度々ジレンマに陥り、もう一度Stage 2に挑戦することにしました。APECでは、「Stage 1の合格後5年以内に全ての過程を終えなければいけない」という規定があるので、私の場合は2004年の4月がタイムリミットでした。それに間に合うように、この新しい仕事を2002年の10月で辞めました。
3度目の挑戦にあたってのAPECの試験官とのInterviewでは、やはり2年も薬学から離れていたのでPre-registration期間は2000時間になるとのことでした。幸いにも自宅の直ぐ近くの薬局で雇ってもらえたので、2002年の11月から新たにPre-registration研修を始めました。この薬局は以前勤めていた薬局とは違い、マネージメントに問題があり、しょっちゅう働いている人が辞めていくような職場でした。私もストレスから欝気味になり、よっぽど職場を変えようかと思ったのですが、Pre-registered pharmacistの身分では職もなく、必死の思いで12ヶ月を耐えて過ごしました。
3度目の受験は2003年の12月でした。もう後がないので、背水の陣で臨みました。この頃、PSAから「Case Studies in Practice Medication Review」と「Case Studies in Practice Pharmacist Only and Pharmacy Medicines」の初版が出版されたのですが、これらを入手したとき、どうしてこういう本が2回目の受験のときに出版されてなかったのだろうと、臍を噛む思いでした。様々な本や参考書の中でも、特にこのCase Studiesの2冊とAMHは本がボロボロになるまで読み返しました。
APCATは2度目の受験までは導入されていなかったので、今回が始めての受験となりました。最後のほうで少々時間が足りなくなりましたが、自己採点では75%~80%くらいの正答率だったと思います。
実技と口答試験については、試験の終わりに恐る恐る試験官に「今回は何かミスしませんでしたか?」と聞くと、上機嫌で「今回はパーフェクトだったよ。最終結果はAPCATの結果が返ってくるまで出せないけど、またお会いしましょう。今度は試験会場ではなく、ね。」とウインクされました。
APCATの結果が試験官の元に返ってきたのがその2週間後で、正式に合格通知を受け取ったのはその更に1週間後でした。96年の7月にAMEPの英語コースに行き始めてから、実に7年半を経て2003年の12月末(薬剤師登録は2004年の1月初頭)に、私はやっと全ての過程を終えて、オーストラリアの薬剤師として第一歩を踏み出したのです。
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COMMENT
JJさん、初めまして。
コメントありがとうございます。
長い道のりになりますが、JJさんも頑張ってくださいね。
これからも宜しくお願いいたします。
コメントありがとうございます。
長い道のりになりますが、JJさんも頑張ってくださいね。
これからも宜しくお願いいたします。
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はじめまして
日本の調剤薬局で管理薬剤師として働いておりますJJです。
そろそろシドニーへの帰国を望んでいるハーフオージーのパートナーより免許トランスファーの話を聞きました。
色々と情報を持ってきたりヘルプをしてくれるのですが、英語ばかりの山積みとなった資料を見て半泣き状態でした。
大変なプロセスを乗り越え、実際に薬剤師として成功されている先輩方がいるとは、何とも心強いです。サイトを拝見し、色々と参考にさせて頂きたいと思い連絡をさせて頂きました。
もう30代後半です。新しい事を覚えるのも大変なのですが、少しずつチャレンジして行きたいと思います。
今後とも宜しくお願いします。
頑張って下さいね。